私が看護師を始めてから、実に多くの患者さんと関わってきました。
最初の職場では、骨折患者の周手術期に。
また、泌尿器科では手術だけではなく、感染症の治療や、化学療法の患者さん
更には、終末期の患者さんと関わることも出来ました。
眼科領域では、突然全盲となってしまった方の、不安な気持ちに寄り添い、日常生活へ復帰する援助をさせて頂いたり、救命センターでは、命の炎が消えかけている方の人生と向き合う事が出来ています。
そして、場所は違っても、患者さんは違っても、共通して言えるのは、
大切な人の病気と向き合う、家族との関わりを持つことが出来たことです。
実に多くの関りを通して、私が看護師としての働く中で、看護師をやっていて良かった。
と思えた場面について、私の気持ちを、お伝え出来ればと思います。
患者の不安に触れられた時
看護師は入院中の患者にとって、最も近くで、長い時間関わる事が出来る
存在です。
入院してくる患者は、その多くが、大小さまざまな不安と向き合って、治療を受けています。
私はいつも、そんな患者の不安に対して、自分ならどのようにされたら
この不安が解消されるだろう?
そう考えながら、関りを持つようにしています。
そんな中で、患者さんが
「○○さんになら話せると思って。」
と、何気なく本当の気持ちを話してくれる事がありました。
私は、患者が私に対して信頼関係を構築してくれた。
と思い、看護の本質にある、患者に寄り添うという事が出来たと感じる事が
出来ました。
患者の状態が回復して退院出来た時
病院で過ごしていて、おめでとうと言える場所は産婦人科か、退院の時かと思います。
(細かく言えばもっとありますが・・・。)
入院してきた時の状態を知る患者であれば尚更、その患者が軽快して退院まで出来るって、やっぱり嬉しいものです。
何より、そんな場面で、患者さんや家族から頂く感謝の言葉は
本当に心に浸みるものです。
患者の最期の時に立ち会えた時
私が看護師をしていて良かったと思う場面で、最も強く感じるのはこの場面です。
多くの看護師は、患者の最期の時に立ち会う事を嫌がります。
なぜなら、辛いから。
患者自身のこともですが、家族が悲しみの底に居る姿を見ていられない。
これが、この瞬間を共有する事を嫌がる一番の原因です。
しかし私の価値観はこれとは少し違います。
私は、人は最期の時にこそ、その方の人生が語られると、そう思っているのです。
例えば男性なら
家族の為にこの手は一体どれだけの汗を拭って、毎日お仕事をしていたのだろう。とか
女性ならば
一体どれだけの愛情を、家族に注ぎ続けてきたのだろう。とか
その方の性格や生き方、好きだったことや嫌いだった事。
きっと色んな経験をして、濃い人生を過ごしてきたのだろうな。
そう考えた時、その方の人生のゴール地点に、私が携われるって
有難いことだと思いませんか?
こういった気持ちもあって、私は看護師として、患者さんの命を預かる。という表現をしません。
人生の一部分に関らせてもらう。
そう思って患者と向き合っています。
まとめ
長くなりましたが、私が看護師をしていて良かったと思う点。
それは、患者の人生の一頁に、私という人間が関わりを持つことが出来る事。
だから全力で不安にも寄り添いたいし、出来る範囲で治療のお手伝いがしたい。
患者や家族と積極的に関わり、沢山話して、沢山聞いて、そうやって、患者の人生と向き合う事が出来るのも、看護師という仕事の特権なんじゃないかと
私は思います。
あなたにとって看護師をする意義は、どこにありますか?
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